はとバスの珍車⑥ 日野・富士重HDII
3回に分けて、はとバスが1988年から導入を開始した国産スーパーハイデッカーバスについて書きました。2006年にジェイ・バスのボディを架装する日野といすゞの統合モデルが登場するまでは、いすゞのバスが主に採用されていました。国産スーパーハイデッカーの導入が開始された当初は、基本的に定期観光・貸切観光ともに大型のスタンダード車は全車富士重工のHDII型ボディを架装したいすゞ製のスーパーハイデッカーが導入されました。1988年に13台、翌1989年にも16台、と順調に台数を増やしていたので、1990年も従来通りいすゞ製スーパーハイデッカーが増備されると思われていましたが、何と3月にいすゞ製に先立ち2台の日野製が登場しました。正しく、異なるシャーシでも外観を統一できるという富士重工ボディの特徴をフルに活かした選択でした。パッと見てもいすゞ製のHDII型との区別は困難でしたが、良く見るとヘッドランプの形状、フロントオーバーハングの長さ、後部エンジンリッドの大きさなど、相違点もありました。また、いすゞ製と並べてもなかなかわかりませんでしたが、車両の全高も実は5㎝以上異なっていました。はとバスは富士重工のHDII型のボディを架装したバスを「スーパークルーザー」とネーミングし、1988年から1992年にかけて計67台も導入しました。「スーパークルーザー」は当時のいすゞ観光バスのシリーズ名でしたが、はとバスでは日野製の2台も「スーパークルーザー」とネーミングし、いすゞ車に混じって同一運用で活躍しました。「スーパークルーザー」ははとバスの一般車のスーパーハイデッカー化の礎を造るという大役を担いましたが、その中には今回ご紹介した2台の「珍車」も含まれていることを記録に残したいものです。
写真解説
写真①
富士重のHDII型ボディを架装した日野ブルーリボンの(はとバス呼称)スーパークルーザーです。ぱっと見ではいすゞ車とあまり変わらないように見受けられますが、細部は日野車独特の雰囲気を醸し出しています。特に日野車体のブルーリボンと共通のヘッドライトやウィンカーが個性的です。
写真②
比較として前年、1989年に導入されたいすゞ車です。前扉は、1990年導入車からいすゞ車も窓が開閉するタイプが採用されました。FOH/WBのプロポーションの違いが良く分かります。
写真③
はとバスは日野ブルーリボンを中型車として導入していました。写真①とヘッドライト、ウィンカーなのが共通なのが良く分かります。
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